午睡と虫養い

観た映画・ドラマの感想。時々漫画と本も。

Coda コーダ あいのうた

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Coda コーダ あいのうた ※画像は公式サイトのスクリーンショット

gaga.ne.jp

 

2022年1月23日劇場にて鑑賞。

 

素晴らしかった…!!ちょくちょく涙が出てしまいました。いろいろと思うところがあって上手く言えない。聾者とCODA、そして主人公の青春と成長の話なのですが、私も知的遅れのある自閉症の長男と、発達遅滞の次男を育てている身ということもあって、本当にね、いろいろと感じるものがありました。ヤングケアラーの話でもあり、きょうだい児の話でもあり。

 

ちょっとネタバレしていますので、未見の方はぜひ鑑賞後にどうぞ。

 

 

 

CODAについては、Twitterで当事者の方が情報発信されているのを時折拝見していました。知的遅れのある子供達を育てている身としては、立派に親と世間の橋渡しをしているCODAの方を羨望と尊敬の眼差しで見てしまう部分もありますが、実際問題本人としてはそんなにいいものではないですよね。なんと言っても守られている立場であるはずの「子ども」以上のことをせざるを得ないんだから。その負担が誇りだったり、時にはこの上なく煩わしかったりするんじゃないかな。なんて想像します。

 

主人公のルビーは本当に偉い。朝から漁に出て値段の交渉もして、それから学校行って。超偉い。しかも両親の性病についての説明と医師からの禁止事項も伝えなきゃいけない…これ10代女子にはかなり負担大きくない!?!?

お兄ちゃんと罵倒し合うシーンが時々出てきます。遠慮なく言い合っているところは良かったな。変に気を遣い合ったりしない兄妹関係。

(ちょっと脱線しますが、お父さん・お兄さんと漁業関係者の関係も見ていてホッとしました。聞こえないからって言って飲みに誘わなかったりはないし、特にお兄ちゃんは一応みんなの輪に入っていたもんね。まあ、飲みの席でみんなの話していることがさっぱりわからんとか、そういう問題はあって、そこは辛く感じていましたけれども…)

V先生は、もう少しルビーの家の事情とか考慮して接してあげてくれよ、と思いました。が、皆と同じく扱ってもらえたのは良かったのかもしれませんね。V先生に手話で気持ちを伝えるところは本当に良かった。手話ってすごいですね、何を言いたいのか手話の全くわからない健常者にも、伝えられることがある。

V先生がコンサートの後、お父さんに手話で話しかけた際、手話を思いっきり間違えてえらいことを伝えてしまいます。手話って難しいなあ!*1

お父さんのフランクがルビーが思いを寄せるマイルズに、避妊についてガッツリ説明している内容も、字幕もないのに手話だけでよーくわかって笑ってしまいました。その後、その話を友達一人だけとはいえ、喋っちゃうマイルズ…!10代あるあるー!!喋っちゃダメなのは一人でもダメなんだよマイルズ!そりゃルビーブチ切れるわ〜!!

 

心を動かされたシーンは多々ありますが、多くの人が挙げている、お父さんが歌うルビーの喉に手を当てて振動を感じ取ろうとするところ。オーディションで思わず手話を使って何を歌っているのか伝えようとするところ。

そして、ルビーの旅立ちの際、「Go」とお父さんが言うところ。

ルビーの家族は、私が覚えている限り劇中でほとんど言葉は話していません。手話を使っている時、興奮して吐息が荒くなるくらいかな。そんな家族が、お父さんが、最後に「Go」と声をかける…

家族の中でもそれぞれにエゴがあって、ぶつかって。そうした問題を解決するのはお互いを思い合う「愛」なんですね。正直副題の「あいのうた」には鼻白んでいた捻くれ者の私ですが、「やっぱり愛だわ」と思いました。単純ですけれども。

 

 

この作品、聾者の役は実際に聾者の俳優が演じていることも話題になっています。DASLと言う、アメリカ式手話のための監督を起用していることも。これは素晴らしいことだと思います。マイノリティの役をマジョリティの俳優が奪ってしまっている現状については、数年前から議論になっていました。時代設定の問題もあるとはいえ、全て白人キャストで埋められてしまう問題とか。しかし実写版『美女と野獣』では黒人キャストが起用されたり、『ブリジャートン家』でも多様な人種の俳優が起用されていました。少しずつ変わりつつある中で、「聾者役は聾者の俳優が演じる」ことが実現され、私も嬉しく思いました。

正直思ったのは、やはり「その立場」の人が演じると説得力が増す、と言うこと。もちろん、お芝居って役者が全くの別人になりきって演じることが面白いんだけど、それはそれとして、実力のある、「その立場」の人自身が演じるとやはり真実味が増します。作品に深みが出る。それに、当然「その立場」の人たちの活躍の場も広がる。

とはいえ、じゃあ重度知的障害の役を重度知的障害を抱えている人が演技できるかって言ったら無理だろうし、自閉症の役を自閉っ子が演じることができるか?と言ったら、難しいだろうな〜とは思います(ダウン症だと、時々ダウン症の俳優さんが演じたりはしてますけどね。テレビドラマ『Glee』とか映画・舞台『チョコレート・ドーナツ』とか)

 

 

でも、障害が理由で役を奪われたりするようなことは撲滅して欲しいものです。「障害」は常に社会の側にある。という言葉が、障害・福祉界隈で時々聞かれます。知恵と工夫、配慮で、社会にある障害は取り除くことができるのです。

 

シンプルに、映画として素晴らしく、そしてその成り立ちやキャスト・裏方・関係者の思いを知るともっともっと味わえる作品です。ぜひ多くの人に観ていただきたいです。

 

 

<おまけ>

聾者が登場する映画とか。

https://www.netflix.com/jp/title/80223226

 

 

↑音楽教師である主人公の息子が聾者という設定。聾者ではありますが、息子はビートルズなどを好んでいます。「聞こえないくせに!」と苛立つ主人公ですが、終盤で息子にも音楽を楽しんでもらうため、工夫する場面があります。『コーダ』で、お父さんのフランクがラップの振動を楽しむ場面がありますが、それに通じるものがあるなあと思って。

全くの余談ですが、この主人公、教え子の高校生に惑うところがあって、その時もムカついたけど思い出してもやっぱりムカつきますね!教師が教え子にとか無いわ〜

 

 

*1:レベルは違うけど、『聲の形』でも「バカ」と言う手話を間違って使ってしまって、バカと伝えたい相手(主人公の硝子/聾者)に「バカ、の手話はこうだよ!」と直される…と言う場面を思い出しました。